2006年06月22日

九曜紋

kuyoumon.JPG

○由来
 
九曜紋の中心の丸は太陽・周りの八個の丸は太陽を取り巻く太陽系の星を意味します。
九曜とは古代インドで想定された惑星の総称です。
インドでは人間の住む大地をめぐる惑星として、日(太陽)・月・火・水・木・金・土の七星に、
目には見えないが日食・月食をおこす羅候(らご)・計都(けつ・けいと)の
二星を加えたものが存在するという考え方が形成されました。
この考え方は仏教とともに中国を経由して日本に入り、密教・陰陽道などで広く用いられたそうです。


○細川『離れ九曜』

九曜紋は鎌倉時代から紋として既に使われていました。
細川家も九曜紋を用いてました。

■板倉勝該事件
□延享4(1747)年8月15日<九代将軍家重>
□江戸城本丸大広間において熊本藩五代藩主・細川宗孝が
 旗本の板倉勝該に背後から切りつけられて殺害された。
 上の国安中藩主・板倉勝清と間違えられたのが原因。
 板倉勝清の『九曜巴紋』と宗孝の『九曜紋』が似ていたせいであった。
 そこで細川家は幕府の勧めで『離れ九曜』になったという。               
        
現在の”南関御茶屋跡”には実際に使われていた九曜紋の「釘隠し」があります。
御居間の北側・畳廊下の長押(なげし)裏からひとつだけみつかりました。
金メッキ銅版に漆を蒸して焼き付けた玉で九曜紋を施した精巧な細工です。
これ、実際に修復後の御茶屋跡でも使われてます。
余談ですが・・・
posted by 南関宿場町伝楽人 at 23:40| Comment(7) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする