2006年06月28日

見るべき人は、ちゃんと見ている

  御茶屋跡の保存整備事業に関して大変お世話になり、さまざまにアドバイスをいただいている県教育庁文化課のM先生に、本日お会いしましたら、開口一番「御茶屋のブログが立ちあがっているじゃありませんか。おどろきましたが、あれ本当にいいですね。ホームページとちがって、次々にリアルタイムで御茶屋のことや、ボランティア活動の情報が見れるので、とてもすばらしい。いいことをなさってますね。」とお褒めのことばをいただきました。うれしかったので、早速みなさんにご披露します。
見る人は、ちゃんと見ていなさる。

 会所走番

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↑上のようなうれしいお言葉ありがとうございます。
励みになりますね〜。
また明日から頑張ります!

     伝楽絃太@管理人
posted by 南関宿場町伝楽人 at 22:30| Comment(3) | TrackBack(0) | うれしいお便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 県教育庁文化課のM先生、うれしいコメントほんとにありがたいでーす。伝楽絃太さんもたいへんな作業を引き受けていただいて感謝感謝。M先生の期待を損なわないように頑張っていきましょう。
 ところで、こんなところで申し訳ありませんがいつも気になっていることがあります。わが御茶屋跡の襖絵は流派は何派になっているのでしょうか。
 また、熊本城の築400年記念のときの襖絵の再現は復元だから出来ると聞いていますが、これは何派でしょうか。
                からやん
Posted by からやん at 2006年06月30日 19:00
 はっきりしませんが、南関御茶屋の襖絵を描いたのは、細川家御用絵師の杉谷雪樵ではないか、と思われます。御茶屋建替え御用係木下助之の日記の中に、嘉永四年十月ごろから何回か「杉谷へ画を頼む」「杉谷へ画の相談」などと出てきます。そのころ雪樵は板楠に逗留していたようです。でもはっきり御茶屋の襖絵を描いたとは出てきません。また、現在のところ他に資料もないようです。
 細川家の御用絵師は、雪舟の流れをくむ矢野派が代々勤めており、杉谷雪樵は、最後の御用絵師となります。
 ちなみに、昨年の御茶屋跡落成式の時、床の間に掛けてあった掛軸の作者は、雪樵のお父さんの杉谷行直(ゆきなお)でした。
 熊本城の方は、勉強してないですけど狩野派ではないでしょうか。その天井画をかろうじて模写していたのも行直じゃなかったでしょうか。
Posted by 会所走番 at 2006年07月01日 12:56
 「昨年の御茶屋跡落成式の時、床の間に掛けてあった掛軸の作者は、雪樵のお父さんの杉谷行直(ゆきなお)でした」
 どこから借りてこられたのか、わたしは知りもしませんでした。惜しかったなあ。
 でも、よく考えてみると御茶屋跡には何も残ってないのですね。近々県立美術館を訪れて、杉谷行直、雪樵(せっしょうと呼んでいいのでしょうか)を見てみたいです。
 ついでにお尋ねしますが、いまの床の間の掛け軸はどのような謂われがありますか。                     からやん
Posted by からやん at 2006年07月02日 06:45
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