2011年06月17日

県北紹介のサイトです^^

ネットサーフィンが趣味の華子です♪

つい先ほど、こんなサイトを発見(^^)v

http://www.kumanomoto.com/valuable/index.html

ご紹介くださって、ありがとうございます。

いつ取材班の方が来られたのか、全く知らなくて、あせってますけど(^^ゞ

伝楽人会長も、元会長も、すごくすてきな写真で、うれしいです〜。


こんな記事が全国に広まって・・・・・明日からお客さまの対応、大変かも。(笑)


嬉しくて、ここにもご紹介載せてしまいました。

くまの素さん、ありがとうございました
posted by 南関宿場町伝楽人 at 23:01| 熊本 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

第21回くまもと景観賞受賞!

ちょっと前の出来事になってしまいますが・・・
平成21年3月24日に、ここ、”国指定史跡・豊前街道南関御茶屋跡及び周辺の旧豊前街道”が、

『平成20年度・第21回くまもと景観賞・地域景観賞受賞』
しました!



DSC09963.JPG

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平成21年3月26日・有明新報より

『熊本県が表彰・地元民の盛りたてを評価』
第21回くまもと景観賞受賞式が24日、熊本県庁であり、玉名郡南関町の上田数吉町長らが出席し、国指定史跡「豊前街道南関御茶屋跡及び周辺の旧豊前街道が地域景観賞に選ばれたことで、表彰状と記念の盾を受けた。
審査委員会によると、歴史的配慮や周辺への影響、活用のされ方も含め、満場一致での受賞になったという。
町は取り組みが認められ、今後の活用に弾みがつく、と受賞を喜んでいる。
・・・中略・・・
御茶屋跡について県は「歴史的な建物を保存するだけでなく、地元の人たちがお茶会や展示会なので有効に活用し、みんなで盛り立てていこうという姿勢もある。そうした試みが今後さらに広がっていくことを期待したい」と評価している。
(小原郁夫)


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上記「・・・中略・・・」部分の追記です。↓

 くまもと景観賞は県内で地域の良好な景観形成に大きく貢献している個人もしくは団体を表彰するもので、待機の歴史、生活文化、自然などを利用した景観や地域住民、企業、行政それぞれの参加と協力で創出された景観などが対象となる。
 今回は88点の応募があり、その中からくまもと景観賞1点、地域景観賞3点、緑と水の景観賞1点、地域景観奨励賞1点、緑と水の景観奨励賞1点、緑化環境美化功労者として和水町の菊水ボランティアの会も表彰された。平成7年の第8回で荒尾市宮崎兄弟の生家施設も受賞している。
 南関御茶屋跡は江戸時代に藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休息、宿泊していた施設。15年8月27日に国の史跡に指定され、同年から町が保存修理工事に着手し、現在、町民ボランティア団体の南関宿場町伝楽人が町から委託を受け、管理運営している。

↑中略部分の全文です。6月7日追記。


posted by 南関宿場町伝楽人 at 02:01| 熊本 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月02日

うっ詰まったマブ

マブがどうなっているのか見てみますと、長年の手入れ不足からか、「うっ詰まって」池の方に流れ落ちきれないでいます。

どのような仕掛けにすればうまくいくのか、伝楽人の楽しみの1つではあります。

ただ、この水は灰岩主体の地質のためか、白い濁り水になっていて、「見てくれ」はよくないようです。

追分けbito

20060802_1.JPGまぶの出口

20060802_2.JPGまぶの栓のところ
posted by 南関宿場町伝楽人 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

釘隠しその2

これは6月22日付「九曜紋」の続きです。
 
7月5日の伝楽絃太さんのコメントにて釘隠しは34個ではなく
45個であるとご指摘を受けました。今日、数えてみましたが
やはり45個でした。参りました。

ところで、確認しているうちにあることに気づきました。
それは俗称「小姓の間」の正面床の間の右上に釘隠しされていない箇所があるんです。

これはまさか「付け忘れ」ではないでしょうに。
これが入ると合計46個となるわけですがどうなんでしょう?
志野

写真はその問題の箇所
kugikakusi.JPG
posted by 南関宿場町伝楽人 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

マブの増水

mabu_1.JPG mabu_2.JPG


水量の増えた「マブ」(間歩・間風)
このところの雨で、鷹の原の台地に降った雨が横穴井戸のマブから湧きだし増水しているようです。
(濁っているので周りからの流れ込みもあるのかもしれませんが)
いつもこれくらいの水量があれば心字池も満々(?)と水をたたえ金魚も喜ばせることが出来るのです。
そして、カワニナも繁殖し蛍の飛び交う姿も見られるのでは? 
残念ながらいつもは細々としか流れ出ていません。
洞内が土砂で埋まって機能していないのではと思います。
洞内を浚えて清水がコンコンと湧き出す本来のマブに復活させたいものです。
復活のプロジェクトを立ち上げてみませんか!

龍瀬川のガワッパ
posted by 南関宿場町伝楽人 at 23:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

九曜紋

kuyoumon.JPG

○由来
 
九曜紋の中心の丸は太陽・周りの八個の丸は太陽を取り巻く太陽系の星を意味します。
九曜とは古代インドで想定された惑星の総称です。
インドでは人間の住む大地をめぐる惑星として、日(太陽)・月・火・水・木・金・土の七星に、
目には見えないが日食・月食をおこす羅候(らご)・計都(けつ・けいと)の
二星を加えたものが存在するという考え方が形成されました。
この考え方は仏教とともに中国を経由して日本に入り、密教・陰陽道などで広く用いられたそうです。


○細川『離れ九曜』

九曜紋は鎌倉時代から紋として既に使われていました。
細川家も九曜紋を用いてました。

■板倉勝該事件
□延享4(1747)年8月15日<九代将軍家重>
□江戸城本丸大広間において熊本藩五代藩主・細川宗孝が
 旗本の板倉勝該に背後から切りつけられて殺害された。
 上の国安中藩主・板倉勝清と間違えられたのが原因。
 板倉勝清の『九曜巴紋』と宗孝の『九曜紋』が似ていたせいであった。
 そこで細川家は幕府の勧めで『離れ九曜』になったという。               
        
現在の”南関御茶屋跡”には実際に使われていた九曜紋の「釘隠し」があります。
御居間の北側・畳廊下の長押(なげし)裏からひとつだけみつかりました。
金メッキ銅版に漆を蒸して焼き付けた玉で九曜紋を施した精巧な細工です。
これ、実際に修復後の御茶屋跡でも使われてます。
余談ですが・・・
posted by 南関宿場町伝楽人 at 23:40| Comment(7) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

心字池の梅

ume.JPG

去年は気がついていませんでしたが今年になって、心字池の梅が実をつけました。

根元が頼りなく、枝も細い古ぼけた幹ですが、数十個の実がなっています。愛嬌があります。

さぞ美味しそうですが、採るには池に落っこちそう。

                      志野
posted by 南関宿場町伝楽人 at 21:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

むくろじの実

mukuroji.JPG

先日のむくろじの実を集めて洗ってみました。

全部が水に浮きました。種が中空になっているのでしょう。
これでは発芽するわけがない。

それから、今日官軍墓地に上がられた春日市からのお客さんは何かしら新しい実を持ってこられました。
一般無数になっているそうで、後日紹介します。

果たして何なんでしょうね。
                 
                     からやん
posted by 南関宿場町伝楽人 at 11:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月13日

いまや南関町の顔

 今日の熊本日日新聞で御茶屋跡をでかでかと紹介しています。
充実した1年目から2年目に入り、今度は周囲の遺産、観光施設との連携が課題と書いてございます。

 手探りの1年目から、展望の2年目に入ります。
わたしたちボランテイア団体「南関宿場町伝楽人」も研鑽を積みながら、周辺文化財の紹介ができるようにしなくちゃあ。

 南関町のすそ野は広いんですぞ。

    からやん
posted by 南関宿場町伝楽人 at 15:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

まぶ(間府?)

マンボとも呼ばれる地下水を集水する仕掛けは御茶屋跡から山手の左肩にあります。
官軍墓地、鷹ノ原城跡への道を上っていく途中左側のすぐのところです。

このまぶからの水は御茶屋跡の心字池に注いでおり、池には鯉、うなぎなどが養われていたそうです。
またその水は池から東の方の、当時は田んぼだったところに流れ出ていたといいますので、かなりの水量があったと思われます。

いまも水が少しは池に流れています。
写真のようにずいぶん荒れていますので、中の堆積物を浚えると、また、昔を再現できるかも知れません。それを願いつつ。

mabu_2
まぶの出口。柵の中は坑道になっています。
手前に水の道が見えます。

mabu_1
たての石杭は栓になっていて、水量を調節できる
ようになっています。
posted by 南関宿場町伝楽人 at 12:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

むくろじ(無患子)。

20060611_2.JPG
むくろじの実は羽子板の材料に使われます。
黒い実ですが、子供の無病息災を願って羽子板を突いたのかも知れません。

まぶのすぐ上にあるむくろじ。
去年も実がたくさんなり、ずいぶん落ちていました。

このむくろじの大木は南関町では3カ所しか自生していないということです。
ここと、大津山神社ともう一カ所は肥猪町とか。
由緒あるところばかりとすると、ここも昔から縁(えにし)で結ばれていたのかも知れませんね。

ところで、このむくろじですが、kobarubitoさんの話だと実を植えてもなかなか発芽しないそうです。
試してみられては?

20060611_1.JPG
ここ御茶屋跡のむくろじはごらんのように根元はずいぶん朽ちており、そろそろ樹木医さんの力にすがらなければならなくなっております。

     からやん
posted by 南関宿場町伝楽人 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

美しいたたずまいされど鬼瓦

御茶屋跡を外から説明するときには必ずこのアングルでの写真を撮っていただけたか気になります。

細川さんの九曜紋を三つ続けた瓦にはもっといろんなコメントが欲しいところですので、ここは会所走番さんのご登場と願いまーす。

     からやん
posted by 南関宿場町伝楽人 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

ある晴れた日に

北東部から見下ろした御茶屋跡
待ちに待ったある晴れた日に、このメールを送ります。
豊前街道南関御茶屋跡は国指定を受けて、17年3月に復原されて、この5月でちょうど1年を迎えました。

 毎週平日火曜日を休館日とし、それ以外は毎日"伝楽人"というボランテイアのメンバー40人が当番制で御茶屋跡建物の説明、案内に当っております。

 南関御茶屋跡の特長の一つはいにしえを温ねながらそのゆったりした雰囲気と抹茶による接待にあります。
 官軍墓地や鷹の原城跡へとつづく石段を登りながら御茶屋跡を見下ろすと、四季折々に変わる景観の美しさもまた見事です。

[写真は北東部から見下ろした御茶屋跡]

写真&文・”伝楽人からやん”さん
posted by 南関宿場町伝楽人 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 南関御茶屋跡の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする